2020-10-16
日本寺の縁起・開創(鋸南町)
「疫病も 瑠璃光菩薩に 退散す」 鋸山山人
むかしむかしの725(神亀2)年、奈良時代の出来事です。聖武天皇の勅願で行基が開祖といわれる乾坤山日本寺の成り立ち。実は后の美談が発端だったんだね。施薬院で貧しい庶民を治療する聖武天皇の后の光明皇后。千人目の治療は重症の皮膚病患者だったのだそう。ウミを吸って欲しいと懇願され、躊躇なく全身のウミを吸う皇后、患者はみるみる回復して綺麗になり、自身が薬師如来であることを告げ消えたのだそう。慈悲深い皇后の治療を神が試したのだとか。聖武天皇は行基に、薬師如来を探せと命じたのだそうです。鋸山の麓の保田、そこに如来様がいらっしゃったのだそうじゃ。そこに日本寺を建立し、薬師瑠璃光如来を御本尊として安置し、お祭りしたのが起源なのだそうです。
天明5年(1985)房州鋸山日本寺碑・元禄10年(1697)四世然室竜鶴著の日本寺縁起
文じいの鋸山逍遥 001
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