2021-09-05

芸術が新たな生活の指針を示す町へ アートが日々の暮らしに溶け込む豊さ

ARTな人々③ 三浦エリア 葉山芸術祭実行委員会

アートが醸す自由や平和が町中にあふれる芸術祭 Bruce Osbon 撮影

葉山芸術祭は、バスの車窓からキラキラとかがやく海を眺めながら、作家の店やアトリエへ、生活空間である家から家へ、「こんにちは!おじゃまします」と挨拶を交わして暮らしをのぞく芸術祭です。日常生活に芸術があり、美術館やギャラリーでは味わえない創作の生まれる場を体感できる最先端の芸術祭として注目されてきました。

まだ芸術祭が日本に浸透していなかった1993年に、暮らしから産声をあげた「葉山芸術祭」、昨年は緊急事態宣言で中止となり、コロナの自粛要請の中で芸術が果たすべきことを模索する形で4月24日から5月16日まで開催しました。その魅力と展望を実行委員会の松澤利親氏と清水衣里氏にお話を伺いました。

#コミュニケーションの先端さぐる芸術祭

コミュニティに芸術が根付くことで、郷土愛や地域的な絆が醸成されてきました。1993年、一葉会という文化振興団体が母体となり、Nature・Education・Art conscious・communicationをコンセプトに始まったのが葉山芸術祭です。葉山は元々、御用邸を中心に皇室御用達の工芸作家やアーティストの暮らす街として、芸術に対して意識の高いエリアでした。第一線で活躍する地元のアーティストも多く、その作品やパフォーマンス、さらにライフスタイルを感じたい、見せたいというニーズが広がりました。1996年の第4回開催の芸術祭では、ヨーロッパの芸術祭のような、オープンハウス形式の展示が始まりました。

町の景観も華やかに Bruce Osbon撮影

オープンハウスでの展示は、アーティストのライフスタイルが作品の一部となり、演出された美術館やギャラリーの展示では味わえないありのままの姿に出会えることから、アーティストにとっても鑑賞者にとっても大きな刺激になり、葉山に暮らす人々が増えていくきっかけを生みました。1997年の第5回芸術祭では森山神社で青空アート市も始まり、2006年の第14回芸術祭ではオープンハウスやワークショップの企画数が100という全国的にも稀な大きな芸術祭に成長し、芸術がコミュニティの中心にある町として注目を集めました。今回は、感染防止の観点から、オープンハウスやアートイベントは中止し、オンラインを活用し、時代を反映する芸術祭として手探りの挑戦の芸術祭となりました。

#芸術がもたらす新たな生活様式

私たちの葉山芸術祭は、実行委員会形式で開催されています。実行委員会は委員長を置かずにアーティストや町、暮らす人々の意見を集約、協議しながら協賛スポンサーも同意の上で運営しています。草創期の3年は、町の補助金からのスタートでしたが、1996年の第4回芸術祭から実行委員会形式になり、芸術を暮らしに親しませる転換期が訪れました。コミュニティ施設で青空アート市や音楽イベントを開催し親しまれる工夫を行い、そこに暮らす人々との一体感を大切にしてきました。アーティストも芸術を理解する人々の町に暮らしたいと自然と拠点を移し始めたのです。

2002年からは成長期と位置付け、展示スペースを拡大させるためにオープンハウスでの展示をメインに運営を進めてきました。さらにワークショップも増えていく好循環に、葉山芸術祭の独自性が確立されたようです。

安定期を迎えて芸術祭自体が成熟していきました。その中でアーティストの作品や町の意識もどんどん洗練されたものとなっていきました。全国の芸術祭ブームの火付け役ともよく言われますが、アートイベントが社会や暮らしにもたらす可能性に、視察される関係団体が増えてまいりました。また、芸術祭のネットワーク化として相模湾・三浦半島アートリンクプロジェクト(SaMAL)を2015年から開始し、芸術に潜む力を世界に発進しています。

実行委員会では、2021年の第29回葉山芸術祭開催に向けたプランをオンライン会議やI Tを活用した「新たな生活様式の中の芸術祭」と捉え、芸術活動が新たな生活様式を切り拓くきっかけや新たな価値観を醸成させるものと定義しました。

オープンハウス形式の展示の目印のフラッグ。

#芸術は時代の羅針盤

芸術祭の主役は、実行委員会やアーティストではありません。芸術に関心を持ち、芸術や美術教育が大切なことと感じる観客なのではと思います。著名な名画を鑑賞し、それで満足を得ることから、アーティストの表現活動やライフスタイルを通して、生きがいとは何か、絆とは何かを自ら問うことで、自分自身もアーティストであることを認識することが鑑賞の基本になればと思います。

葉山の町は、御用邸を中心に形成されてきました。小さな漁村からクラフトマンシップのあふれる保養地として街が形成されました。明治から大正、昭和と時代が移り、芸術の大衆化がどんどん進む中で、住民にとっても地元の作家の作品を観たい、歌や音楽を聴きたいという機運が高まり、さらに、作品の生まれた場所で感じたいという多くの人の素朴な欲求の発露として成長した芸術祭です。29年の歴史を経ることで熟成され、誰もがアーティストになれる空気を醸して、大きな地域資源に育っています。

コロナの時代の生活様式の変革期に、コミュニケーションの形が大きく変わろうとしています。芸術の根本はコミュニケーションです。混沌の時代が向かうべき方向を指し示す羅針盤ととなる芸術祭としてこれからも取り組んでいきます。

#芸術の果たす社会性

地域の芸術文化を地域の人たちが享受する芸術祭は、縛りのないシンプルな4つの英単語のコンセプトがスタートでした。Nature・Education・Art conscious・communicationの英単語から生まれ、三浦半島をネットワーク化するプロジェクトにまで発展いたしました。コロナ禍の状況下で立ち止まり、考える時、芸術文化をお互いがツールとしてコミュニケートできる街が点から線へ、そして面となって世界に広がっています。オープンハウスの企画も、芸術祭の環境変化から生まれた芸術の産物でした。

参加アーティストにとっては三密を避けて、いかに表現を伝えるかという難題が押し付けられたようです。日常に溶け込む芸術祭としてアーティストがアーティストを呼び、さらに互いにクリエイティブな感性を与える暮らしがオンラインでも始まったようです。原点を再度見つめて芸術のもたらす役割や大切さを感じ、芸術が社会変革の鍵になった歴史を振り返る機会になったのではと思います。

https://www.hayama-artfes.org/

 

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