2020-10-20

高雅愚伝と日本寺

「阿羅漢の 喜怒哀楽に いま昔」 鋸山山人

725(神亀2)年開創とされる日本寺。もともとは鋸山の山裾、今の寺畑という場所にあったのだそうです。寺畑には今も旧日本寺の跡が残されています。1674(延宝2)年 徳川光圀の著した「甲寅紀行抄」に「元名村に岩戸観音あり その山上に大福山日本寺とて薬師あり 15石の御朱印あり」との記述。岩戸山は、今の表参道の羅漢道の入口にあたる場所に、日本寺の本尊が祀られていたようです。中世紀は、富浦正善院配下の修験の寺として里見の庇護を受けていたのだそうです。山号は大福山とされ、1647(正保4)年に曹洞宗に改宗、山号も乾坤山に改められたのだそうです。1771(明和8)年、日本寺住持となった高雅愚伝(1729〜1812)日本寺曹洞宗9世となり1774(安永3)年に寺堂を現在の鋸山中腹に移転し、1780(安永9)年に羅漢像建立発願をし、上総国桜井の石工大野甚五郎英令が、門弟27名とともに20年かけて羅漢像1200体と観音像100体を彫り上げる一大事業が始まったのだとか。今の日本寺の礎を作った中興の祖と言われています。当時の江戸では、日本寺というよりも保田の羅漢寺として有名な景勝地になっていったのだそう。小林一茶や歌川広重の浮世絵画家も度々訪れ句を残す、まさに霊山の奇岩霊洞を生かした仏教テーマパークとして日本寺は観光名所になったのだそうです。現在も1500羅漢がこの寺に安置され、私たちに往時の感動を与えてくれます。

文じいの鋸山逍遥 004「日本寺の歴史」

 

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